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「神館(こうたつ)さん」創刊にあたり

神戸宗社の宮司さんが書いた「神館さん」の文字

ちはやふる神のひらきし 道をまた開くは人の 力なりけり

▽かつての約二千年前の昔。伊勢神宮の御鎮座地を求めた倭姫命様はこの神戸の地を訪れました。日昇る東には、伊勢湾を仰ぎ、鈴鹿山脈を西に、鈴鹿川の恵みを受ける。この自然豊かな平原中央に神戸として神館が建てられ、神々の足跡を残すとともに、人々の祈りが始まりました。地名は神戸町として、神社は神館神明社(昭和中期頃まで「神館さん」と呼び親しまれていた)として今に繋がっています。

神戸町の皆様のお蔭を頂きながら、今日も神戸宗社は、皆様のお宮(氏神様)として存立できています。この本誌発刊を通じて、神社や神戸町の歴史や文化、日々の様子等を皆様と共有し、自身も一層深めていく所存です。皆様にとって、神戸宗社が、祈りの場・集いの場・癒しの場で在れるよう。また、神戸町に安心・連帯・誇りが感ぜられるよう。

未来を開くのは、未来に繋ぐのは、私たちです。引き続き、宜しくお願い申し上げます。そして、どうぞ本誌発刊をお楽しみ下さい。

神戸宗社御造営委員会会長挨拶

▽神戸宗社の歴史は古く伊勢神宮の倭姫行啓の地として伝わっており、その門前として栄えてきた神戸町は伊勢街道の要所としてさらに繁栄してまいりました。宗社の大改修は、大正時代に遡り以降修繕を繰り返して参りましたが老朽化が著しく私達の心の拠り所としての宗社を後世に伝え残し、さらなる神戸の街づくりに寄与しようと氏子が立ち上がりました。令和十二年に拝殿・幣殿・稲荷社・社務所を改修。令和十五年には伊勢神宮式年遷宮より賜ることができれば本殿の改修を計画致しております。

それには、氏子皆様のご理解とご協力がすべてであります。神戸の繁栄と安寧ををお守り頂く拠り所の宗社大改修について今後精進して参ります。【神戸で生まれ育ち育める町神戸】の礎を築くべく志へのご賛同をお願い申し上げます。

中西 尚

氏神と氏子

神戸町の皆様はじめまして。神戸宗社御造営委員会、広報委員会です。この度は、「令和の大改築」と銘打った建替え事業を機に、神戸宗社をより広く知って頂きたく、広報紙『神館さん』を創刊させて頂く事になりました。神戸宗社の詳しい歴史と変遷は次回以降にお話するとして。

さて、氏神と氏子、良く耳にする言葉ですが・・・。氏神とは本来、同じ祖先を持つ氏族が祀る神様のことを指しましたが、現在ではその地域を守護する神様(神社)のことを一般的に氏神と呼び、その地域に居住し、氏神を信仰する住民のことを氏子と呼びます。尚、お寺さんの檀家と混同されることが良くありますが、神社と寺院はそもそも別物であり、任意で入檀する檀家制度とは性質が異なります。神戸町では、些か横暴に聞こえるかも知れませんが、以前より慣例的に、各自治会に属する住民を氏子とみなし、その氏子の代表として各自治会長さんが「氏子総代」と名称を変え、祭礼や初詣の準備等々・・・宮司を支えながら、力を合わせて神社の運営を行ってみえます。

社会情勢の変化や、神社に対する信教観や価値観の多様化に伴う、「神社離れ」が叫ばれる昨今神戸宗社の氏子であることを強制的に押し付けることは出来ませんし、自分は氏子では無いとお考えの方の否定も出来ません。各家々に神棚をお祀りし、日々の暮らしの中に、氏神への信仰が当たり前の様に根付いていた時代とは違い、失礼な言い方で恐縮ですが、無自覚な氏子さんが普通になりつつあります。永きに渡り地域の氏神として人々に親しまれ、先達の方々により現在まで継承されて来た神戸宗社。

この度、祈りの場を後世に繋ぐべく、老朽化した社殿の建替え事業が始動した今、神戸町の皆様に、改めて氏神・氏子についてお考え頂くきっかけとなれば幸いです。

広報委員会 杉本信雄

<今後の主な行事>

神戸宗社 例大祭・10月19日(土)、20日(日)、21日(月)の3日間
・提灯行列、石取体験会、出店等の様々な催しを予定しています。
・「神戸町戦没者御英霊御璽」特別公開
御樋代木奉曳式みひしろぎほうえいしき・伊勢神宮式年遷宮諸祭がこの神戸にやってきます。
令和7年6月9日(月)10:00〜12:00(予定)

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